イエスマン / 104分


イエスマン

 後ろ向きだった男が自己啓発セミナーに言ってYESしか言わなくなったら人生が変わるっていう、あれあれおかしな宗教映画?みたいな感じなんかなあ、つまんないって聞いたし。と思ったらまあそんな話では少なくとも無かった。普通によく出来た伏線がどんどん回収されていくテンポのいい映画って感じ。
 人の人生を愚痴ってばっかで何もしない奴が、自分の人生を自分で選択するまでの成長を描くんだけども。まずそのキッカケが自己啓発セミナーってのが、恐らく反感を買うんだろうね。途中で出てくる「あんなもん口から出任せだ」ってセミナーのエライ人がいうシーンを見逃しちゃったのかな。それに最後のオチ。元々自己啓発セミナー自体がNYのヤッピーの文化から始まったものだから、最後にセミナー受講生達から服を奪いホームレスに服を上げるのは、ねずみ小僧的展開でしょ。なるほどねえと思ったんだけど。それに全てにYESと答える事で良い事もあったけど、悪いことも起きるじゃない。普通に。奇跡も不運も同時にたまたまでしかなく、逆に嫌々だってやったことは自分の糧になるっていうリアリズムでしょ寧ろ。
 後は途中で自殺をしようとしているおっさんを止めようとするんだけど、その時にジャンパー(飛び降りる人)って曲を歌って止めるギャグとかも面白かったし。後は、ヒロインが結構痛い不思議ちゃんなんだけど、その女の子がやってるバンド名が、ミュンヒハウゼン症候群っていって、調べりゃ分かるけど、ミュンヒハウゼン症候群ってのは一種のかまってちゃん病で、詐病なんだよね。まあそういう皮肉とか。向こうって似顔絵ケーキ作ったりするじゃない。そのケーキを作るのがめちゃ下手なのに、それで店やりてえからお金を貸してくれっていってくるおばちゃんが出てくるんだけど。その顔が崩れたケーキを見て、ミッキー・ローク(整形が失敗して顔が崩れた俳優)?って聞くシーンとか、結構上手くて面白かったっす(あーあとハリー・ポッターが長げえってギャグも好き。
 まあ、絶対に断らない小口融資が逆に成功して仕事もうまくいくって言う設定が、サブプライム・ローンの皮肉にしてはどうなんだろうなとちょっと思いました。前述したねずみ小僧的再配分のオチとかブッシュからオバマになって、っていう前提があるのだろうけど、ここだけ何か夢や理想が先走ってるような気が。何も考えないのと、前向きなのは全然違うってメッセージが途中あるだけになんかなあ。

フィッシュストーリー / 112分


フィッシュストーリー

伊坂幸太郎原作の映画を数多く手がける、中村義洋監督による所謂パズル型ミステリー。複数の時系列の物語を通して、とある奇跡を文字通り『フィッシュストーリー(ホラ話)』として軽やかに描く。
映画内でも暗示的に表現されるが、オウムや大震災などに顕著な、エヴァンゲリオン以降の厭世観漂うニヒリズムへのアンチテーゼ的作品として評価したい。

消極的で、回りに都合よく扱われるダメ大学生。うだつの上がらないパンクバンド。修学旅行中に寝過ごし、取り残されたフェリーでとある犯罪に巻き込まれる女子高生。数時間後に世界が終わる直前の、とあるレコード屋。映画を通して語られる四つの物語は時代こそバラバラだが、それなりに絶望的な状況に於かれ、その誰もが自分の境遇に何の打開策も選べない。それは自分の選択に絶対的な価値を見出してしまっているためだ。それによって、凄くよくなるかも知れない、また、凄く最悪な事になるかも知れない。と言う風に。
こんな四つのパズルのピースが小気味よく纏まることで、ある奇跡が導き出され快感を得るタイプの映画じゃないことは、冒頭のレコードにたまたま入ってしまった幽霊の声についてのシーンが象徴していると言える。いつの時代も、アクシデントに勝手な物語を貼付けるのは、全く関係ない第三者によって語られる都市伝説でしかない。ネガティヴな物語は上述したように、ポストエヴァ=セカイ系ニヒリズムであるし。ポジティブな物語は、無責任なオポチュニズムにつながる。つまりセカイはその人間の解釈次第でどうとでも出来るという事だ。

だからといってセンチメンタルに、希望を信じて頑張ろうなんてメッセージを、誰もが素直に受け取れるほどスレてないわけじゃない。この映画が素晴らしいのは、タイトルでもあるホラ話に象徴的なように。そういったセンチメンタリズムを、結果的に、たまたま、意図とは関係なく、勘違いで繋がっているだけで、誰もが大それた希望の為にではなく、自分の為にその場でたまたま選んだという所にある。これは映画人としては、勇気ある選択だと言わざるおえない。映画においては特に、ある選択が、絶対的な価値を得てしまう。しかし、その選択に絶対的な価値など無いとこの映画は言っているに等しい。
パンクバンド逆鱗の曲FISH STORYの逸話も、一見カッコ付けて描かれるのだが、しょうもないオチがつけられ、腰砕けになるように。それぞれの話が一見伝説のエピソードのように見えるが、それが絶対的な根拠には決してならないバランス感覚が、この映画を奇跡的に勇気溢れるものにしていると、声を大にして言いたい。

良くも悪くも、セカイ系メンタリティでは、世界を救う大きな選択でないと選択をしない、腰抜けだと言ってしまってもいいだろう。お前の選択で世界が終わっちゃう程、世界は脆くないから気軽に行動してみ。という雰囲気は、厭世観溢れた世界において、とても清々しい風通しの良さを感じる。別に特定の何かに付いて言いたいわけではないが、クソしみったれた事に、心象風景の葛藤だとか言って、大仰な音楽をかけて、まるでダイナマイトが爆発しなかったかのように、大喜びするさまは、ケータイ小説と何が違うと言うのか。
このような態度がニヒリズムではなく、ロマンティックに描かれるが、それは決して大それた希望ではなく、たまたま良かっただけだというのが良い。

石丸健次郎は若干ミスキャストな気がするし、なによりテンポが悪く、のっぺりした印象が残る本作だが。小説とはかなり形を変え、むしろ原作よりいいんじゃないかという、小説を映画化する根拠を最大限に感じる良心作だ。
似た世界を描く「少年メリケンサック」という映画と比較すると(比較自体に意味があるとは思えないが)、少年メリケンサックに比べ明確に逆鱗はダサく、時代設定や類似性やあるあるネタなどを、意図的にズレて配置することで、パンクバンドにベッタリと張り付いた亡霊(リアルパンクとは〜などの、現代パンクの広義解釈)を剥ぎ落とし、何年にアルバムを出したとあるバンド程度の身軽さで描いている部分に好感を覚えた。パンクバンドが分かってないとか、好きでもないのにとか、俺の物語を語ることに腐心するおっさんのせいで、パンクは身動きが取れなくなってしまったのだから、この演出は正解だと言える。


昴-スバル / 105分


昴-スバル-
黒木メイサがバレエを頑張らなくても頑張る映画。
原作は漫画なのだが、漫画なら許容されていた部分が映画では限りなくご都合主義に見えてしまっていて残念。英語と中国語と日本語で会話が進んでも違和感を感じないのは漫画の中だけだろう。
バレエと言った題材が、お芸術性の高いアカデミックカルチャーであることを馬鹿にしているのか、バレエやダンスの凄さを演出的に披露してくれないので、観客なんかにバレエの良し悪しなんて分からないんだから、といった考えが透けて見えてしまう。むしろ素人が見ても、天才の区別が分からないと駄目でしょ。黒木メイサは頑張ってはいるし、ぶつ切りとアップでなんとか天才のダンスに見せようとはしているんだけど、それがそのまま画面に刻印されてしまっていては、天才のダンスじゃなく、黒木メイサがダンスを頑張っているようにしか見えないのも無理は無い。そこで流れる曲がJ-POPというのも舐めてる。音楽で言えば、東方神起BoA、MayJの曲やライヴが本当に突然始まると、そう考えたくなくても、avexの宣伝パートのように思えてしまう。それにしては随分と長いPVだ。
突然始まるストリートダンスバトルは、なにかの間違いなのだろうか。どう見ても後ろのダンスのほうが上手いため、相手が「お前の勝ちだ」と言っても、なにが?としか言えない。あれはギャグだったのだろうか。バレエの映画で、ここまでダンスがぼろぼろだと眩暈を覚える。せめて演出で、なるほど凄いんだなという説明をしてほしかった。回りが凄い凄いと言ってても、それは全然説得力に繋がらない。
お話のほうもだいぶいい加減で。明確なライバルがいないせいで、積み重ねで上り詰めた印象が薄く、たまたま回りに世界的ダンサーが集まってきて、たまたまオーディションを受けると、たまたま上手いダンスを踊るように見える。他にも、お父さんの話が全く回収されなかったり、平岡祐太演じる男性が何の為に出てきたのか最後まで分からなかったり。所々で前後のシーンと関係なく入る、仏壇にチーンというのは、笑わせたいのだろうか(それなら成功だけど)。多分だけど、漫画の要素を無闇に詰め込んだため、複数の無駄な要素の集合体になっているのではないだろうか。
短いカット割りや静止画はともかく、黒木メイサの表情に乏しい演技も、回りが状況を説明することでやっと分かるレベル。バレエって表情大事だと思うんだけど…な。
企画の段階で失敗しているのに、合議制で話が進んでしまった印象。

DRAGONBALL EVOLUTION / 87分


DRAGONBALL EVOLUTION

ドラゴンボールをパクったHEROESとかの異能力者モノの外ドラみたいだった。そういった見方では、学校じゃ冴えない悟空が不良と喧嘩するシーンなんか面白かったと思う。でもそれ以降は、いくらこれはドラゴンボールじゃない。と自分に言い聞かせてもドラゴンボールのエピソードをなぞろうとしてくるので無駄でした。ドラゴンボールらしいエピソードになると、どんどん脚本が厳しくなってくる。説明が殆ど無いせいか、説明台詞で繋げて、シーンごとのつながりが無い。原作が一番の足かせだって言う、まるでドラゴンボールである事が一番間違ってると言ってるようなもん。んでヤムチャいらない。つかなんもしてねー。戦う女の子をセクシーに描いていたのはよかったんだけど、ブルマとチチの役割がかぶってて。悟空やヤムチャの恋愛パートが、単なる繰り返しで、何してんのお前ら。最後の方で、悟空の秘密が明らかになるんだけど、その設定を見てた感じだと、冴えない高校生が、超能力使えるようになって調子こくんだけど、実は自分が宇宙人だと知って暗黒面に落ちてしまう。みたいな話にすればよかったんじゃないかな。戦闘シーンで使われる気の表現なんかスターウォーズのフォースだし、大猿になる悟空なんか、暗黒面におちたダースベイダーなんだから。全然面白く無かったけど、これよりつまらない邦画が同年にいくらでもあるのが凄い。

ヤッターマン / 111分


ヤッターマン

これはヒドイ。ヤッターマンを汲み取った三池の、一周して褒めたり貶したりするのが嫌になる下らなさに、多くの感想と同じく馬鹿負けした。そういえば映画秘宝のインタビューで言ってたんだけど。ガッチャマンの映画化の打ち合わせをしている席で、逆にヤッターマンを推薦したらしい。

うーん、これ感想つっても好きなシーンの羅列とかにしかならないなぁ。大体この映画の9割は執拗なフェティッシュ表現と、メタギャグと、うんこちんちんが占めていて、ロボットが発情する最低のシーンなど、フェティッシュ表現とうんこちんちんは抜群なんだけど、メタギャグは所謂80'sギャグの価値観ではなく、00's的な小劇場ノリのギャグのテンポ(ワンテンポ止まるツッコミみたいな)で、それが好き嫌いが分かれるんじゃないかなと。その役割は 2009年の人間の目線=観客の代弁者という形で、唯一のオリジナルキャラクターを演じる岡本杏理が演じるんだけど、彼女が三池におもちゃにされればされるほど、面白いのだから皮肉だ。岡本杏理でいえば桜井くんに蠍の毒を取ってもらう、話に全く関係ないシーンとラストのこれまた必然性の無い恥ずかしい格好が見所。

見所と言えば、ボヤッキーの台詞「全国の女子高生ファンの皆様」の映像化。これは完全に頭が狂ってる。おそらくだが、名シーンだ。ちなみにボヤッキー演じる生瀬のシンクロ度はパない。ケンコバのトンズラーは普通に良く出来てるけど、それより出てくるたびにゲロ吐くのが何度見ても笑った。

そしてかなり引っ張った感があるが、何だかんだ言ってヤッターマンドロンボー一味のアニメで、この映画は深田恭子の映画でしょ。彼女が好きな人もそうでない人も、この映画におけるドロンジョは必見。深キョンが所狭しと暴れ周り、衣装や表情をくるくる変えるだけで、もう1800円分、元取ったと言える。深キョンのシーンは瞬きせずに頭に焼付け、小学生は家に帰ったらまず、ちんこの火照りと今後一生共存しなくてはいけない自分を、どうぞ嫌いにならずに抱きしめて上げてくれ。どうも下妻物語辺りから深キョン甘ロリというイメージがあったが、ちょっと認識を変えなきゃいけない。甘ロリ深キョンがカワイイんじゃなくて、(映画の)深キョンがかわいいんだ。この子と松山ケンイチに日本の映画界は感謝すべきだ。嫌、もっとだ。彼女が異端であり深キョンを受け入れているのは奇跡としか言いようが無い。仮に、杉本彩辺りが再現度でいえば妥当なのかもしれないが、杉本彩にこの異常なまでの虚構性を生むことが可能かというと、やはりそれはリアルでしかなく、似てりゃいいってもんじゃない事が伺える。
ああ桜井君と福田沙紀のこと書いてないけども二人ともかなりいい。


最後になるが、その他の気になったポイントを話しておけば。脚本が少林少女の人なんだけど、奇跡的に大事故を起こしていない!これはアニメ監督出身の血が良い方に向いたか!?
もう一つ、メカ&キャラクタをデザインした寺田克也を始め、衣装、背景などの世界のデザインがいちいち素晴らしい。正直密度が濃過ぎて胃もたれしそうだけど、この過剰さ…悪くない!でもうんこちんちんと深キョンで2時間は流石に飽きるゼ!!


竜の子プロジャニーズ事務所などの障害を乗り越え、実写化のハードルをなんなく飛び越えてしまった三池監督。あんた絶対頭おかしいよ!

ハルフウェイ / 85分


ハルフウェイ
北川悦吏子と聞いて見たんだけど、どうしてもフェティッシュ北乃きいへの目線に目を奪われてしまうので、とても混乱する。いや脚本的に男性的な目線で女性を描いても、いつもどうりとしか思わないけど、フェティッシュな画を撮るので、監督やってみたら実はそうなの?と思えば、岩井俊二小林武史っていう童貞ナイトそろい踏みだった。北川悦吏子の女はいつもそうだけど、それだけとは思えないほど、北乃きい自体のいじめたくなる素養が爆発していて、大沢たかおが出てきた時にあーこいつが北乃きいをレイプするのか。と思ったんだけど、勿論しない(でも演出なのかなんなのか大沢たかおの演技もカメラもそういう危うい画になってたと思うんだけど)。毎度の事ながら、北川悦吏子の描くアレなヒロインへのくどいまでの悪意を受け取ってしまうので、北川悦吏子がムカつく女に仕上げれば仕上げるほど、それに負けじと、無自覚な悪意を魅力的に撮る童貞達っていう鬩ぎ合いのように見えた。視点を絞って(っていうかもうちょい安定させてくれ…)アイドル映画にすればいいのに、とか言ってもしょうがないくらい問題点が多くて(もう、夢オチでも、死別によって美化された思い出でもいーよこれ)、映画館で見たら、悲しいくらい力が抜けるだろうけど、テレビでお茶でも飲みながら見る程度なら、まーいーかと思えるんじゃ。女の子の部屋で、コルクの掲示板に張ってあるマジックでデコった写真を1時間半見たような感じでした(まー普通は30分もたないよな)。これが北川悦吏子第一回監督作品ってのは悲しいけど、なんかもうちょい映画頑張ってほしい。

少年メリケンサック / 125分


少年メリケンサック

ダメダメOLかんなが動画サイトで見つけたパンクバンド『少年メリケンサック』は、実は25年前に解散していてメンバーは全員おっさんになっていた。だが、それを社長には言い出せず、だましだましツアーに出なくては行けなくなったのだが…という、ロードムービー。監督は木更津キャッツアイなどの宮藤官九郎

と言うわけで、流石にクドカン全然パンク分かってねぇ。とか言い出すバカがいると思わないが、そういう俺の時代を語りだす糞中年は全員死ねばいいと思うよ。という映画。何々を聞いていないからダメだとか、何年の伝説のエピソードを知らないから分かって無いとか、ホント音楽にとってどうでもいいよね。リスペクトを以て、接しないと音楽聞いちゃいけないんだったら、他に沢山音楽あるからそっち聞くよ普通。YouTubeなどで並列化されたら、そんな事全く関係なくなっちゃうのにね。もし(青春パンクがどうたらとか言って)パンクが死んだと言うのなら、そいつらのせいでしょ。どう考えても。

とは言っても思い入れがあるのか、パンクバンドへのクドカンの目線は優しすぎる。ギャグのテンポがいい為、おっさんによる痛々しいパンクロックへの向き合い方が、笑いに吸収されてそこまで痛く感じない。もっとダサくて寒くて、見てて居た堪れない気持ちになって然るべきだったんじゃないだろうか。フィッシュストーリーとテーマが似ていたせいか、あっちはカッコつけようとしながらダサくて、テーマ的に適切な演出はあっちだったんじゃないかな。

しかし、この映画は完全に宮崎あおいの映画。あんな事やこんな事をされちゃうあおいちゃんが、クルクルと表情を変え、おっさんを差し置いてスクリーンを支配する。というのは、何となく分かるのだが。個人的にはそんなに、宮崎あおいが可愛くて最高の映画、だという印象は無い。どっちかというと、ちっせーな。という印象です。縦も横も奥行きも全然無くて。あんな人間すぐ壊れちゃうよ。って思った。単純に好みの問題かもしれませんけど。

その他雑記。途中で出てくる、星野源(SAKEROCK)演じる普段着系のロックバンドが、普通に出来てるステージングを、音楽やるのに過剰な思いを込めてる癖に、あの程度のことも出きずに上手く立ち回れないおっさんバンドとして対比させてるんだけど。普通にいい曲なんだあれが。あと、パンクはどうしたこうしたってぐずぐず言ってる社長の会社を成立させてるのが、思い入れから程遠いTELYAのアンドロメダ〜っていうペーソス満天のシーンも、あれいい曲だなっていう。