フィッシュストーリー / 112分


フィッシュストーリー

伊坂幸太郎原作の映画を数多く手がける、中村義洋監督による所謂パズル型ミステリー。複数の時系列の物語を通して、とある奇跡を文字通り『フィッシュストーリー(ホラ話)』として軽やかに描く。
映画内でも暗示的に表現されるが、オウムや大震災などに顕著な、エヴァンゲリオン以降の厭世観漂うニヒリズムへのアンチテーゼ的作品として評価したい。

消極的で、回りに都合よく扱われるダメ大学生。うだつの上がらないパンクバンド。修学旅行中に寝過ごし、取り残されたフェリーでとある犯罪に巻き込まれる女子高生。数時間後に世界が終わる直前の、とあるレコード屋。映画を通して語られる四つの物語は時代こそバラバラだが、それなりに絶望的な状況に於かれ、その誰もが自分の境遇に何の打開策も選べない。それは自分の選択に絶対的な価値を見出してしまっているためだ。それによって、凄くよくなるかも知れない、また、凄く最悪な事になるかも知れない。と言う風に。
こんな四つのパズルのピースが小気味よく纏まることで、ある奇跡が導き出され快感を得るタイプの映画じゃないことは、冒頭のレコードにたまたま入ってしまった幽霊の声についてのシーンが象徴していると言える。いつの時代も、アクシデントに勝手な物語を貼付けるのは、全く関係ない第三者によって語られる都市伝説でしかない。ネガティヴな物語は上述したように、ポストエヴァ=セカイ系ニヒリズムであるし。ポジティブな物語は、無責任なオポチュニズムにつながる。つまりセカイはその人間の解釈次第でどうとでも出来るという事だ。

だからといってセンチメンタルに、希望を信じて頑張ろうなんてメッセージを、誰もが素直に受け取れるほどスレてないわけじゃない。この映画が素晴らしいのは、タイトルでもあるホラ話に象徴的なように。そういったセンチメンタリズムを、結果的に、たまたま、意図とは関係なく、勘違いで繋がっているだけで、誰もが大それた希望の為にではなく、自分の為にその場でたまたま選んだという所にある。これは映画人としては、勇気ある選択だと言わざるおえない。映画においては特に、ある選択が、絶対的な価値を得てしまう。しかし、その選択に絶対的な価値など無いとこの映画は言っているに等しい。
パンクバンド逆鱗の曲FISH STORYの逸話も、一見カッコ付けて描かれるのだが、しょうもないオチがつけられ、腰砕けになるように。それぞれの話が一見伝説のエピソードのように見えるが、それが絶対的な根拠には決してならないバランス感覚が、この映画を奇跡的に勇気溢れるものにしていると、声を大にして言いたい。

良くも悪くも、セカイ系メンタリティでは、世界を救う大きな選択でないと選択をしない、腰抜けだと言ってしまってもいいだろう。お前の選択で世界が終わっちゃう程、世界は脆くないから気軽に行動してみ。という雰囲気は、厭世観溢れた世界において、とても清々しい風通しの良さを感じる。別に特定の何かに付いて言いたいわけではないが、クソしみったれた事に、心象風景の葛藤だとか言って、大仰な音楽をかけて、まるでダイナマイトが爆発しなかったかのように、大喜びするさまは、ケータイ小説と何が違うと言うのか。
このような態度がニヒリズムではなく、ロマンティックに描かれるが、それは決して大それた希望ではなく、たまたま良かっただけだというのが良い。

石丸健次郎は若干ミスキャストな気がするし、なによりテンポが悪く、のっぺりした印象が残る本作だが。小説とはかなり形を変え、むしろ原作よりいいんじゃないかという、小説を映画化する根拠を最大限に感じる良心作だ。
似た世界を描く「少年メリケンサック」という映画と比較すると(比較自体に意味があるとは思えないが)、少年メリケンサックに比べ明確に逆鱗はダサく、時代設定や類似性やあるあるネタなどを、意図的にズレて配置することで、パンクバンドにベッタリと張り付いた亡霊(リアルパンクとは〜などの、現代パンクの広義解釈)を剥ぎ落とし、何年にアルバムを出したとあるバンド程度の身軽さで描いている部分に好感を覚えた。パンクバンドが分かってないとか、好きでもないのにとか、俺の物語を語ることに腐心するおっさんのせいで、パンクは身動きが取れなくなってしまったのだから、この演出は正解だと言える。