ミスト / 125分


ミスト

最後のアレは個人差が出るにしても、なかなか面白いB級パニック映画だった。それとクリーチャーが気持ち悪い!あとデカイ!!演出的にも低予算モンスターパニックとして、善と悪の描き方など、ある意味古典的な方法論にそって丁寧に描いていき(B級映画として)。主人公はいたって冷静に、その状況においてベターかと思われる最適解を選ぶ。今までなら正しいと思われていた、まっとうな主人公として仕事をこなしていく(様に見える)…からこそ衝撃のラスト。


あの小さなスーパーマーケットは、アメリカそのもので、あの小ささは2007年のアメリカそのものだ。その証拠に、平均的なアメリカ人特有の登場人物の全てが出てくる。小さい子供から大人老人、男女、白人、黒人、労働者、芸術家、法律家、軍人、教師、マッチョにおたく。スーパーマーケットが小さなアメリカであるなら、そこで起こる全ては、アメリカ人なら誰もが経験した恐怖。そう同時多発テロ、及びその後の厭世観だ。冒頭木に雷が落ち倒れたシーンはそのメタファーで、テロそのものではなく、テロ以後のアメリカ社会の混沌を描くという宣言になっている。
極限状態におかれた集団ヒステリー(巨大宗教団体アメリカにおける足場の崩壊)、異常な環境の変化に絶望する人間(テロ以降の原風景)、狂信的な信仰(テロリスト側の倫理が日常に侵食する恐怖)。霧に隠れて見えない得体のしれない怪物とは、アメリカ人が今まで見てこなかった諸外国。まるで霧の向こうの怪物のように、得体が知れない。本当に何故自分たちが攻撃されたのか、あの時は誰も分からなかったのだ。


この映画では、嫌な奴は殺され子供や年寄りは生き残るような、ハリウッドの文脈に忠実にそったルールが尽く裏切られていく。映画特有の父親の勇気ある行動が、冷静で最適な選択だったとしても必ずしも報われない。テロへの恐怖、及び横たわった厭世観。そういった、自分たちが信じていたものが失われた恐怖こそが、この映画本来の恐怖の形だと言える。ハリウッド映画において、妄信的に信じられている暗黙のルールなんて、大局的に見ればなんのアドバンテージにはならない。映画的勇気ある行動こそが、アメリカの大国たる所以であった時代は終わったのだ。アメリカが今まで信じていた物語は、ミストに出てくる宗教家のおばさんと何の大差も無い。そう、だれもが宗教家である。ただ、人数が多かっただけだ。つまり民主主義の敗北でもあると言うことだ。もう何も信じられない。


このようなテーマであるが故、怪物の存在を端から信じていなかった、気の合わないお隣の黒人さんの生死は、描かれないし。死の恐怖を感じていない宗教家のおばさんは、怪物に刺されない。つまり恐怖から逃れた人間を怪物は襲わない。それがまた、黒人知識人や、ユダヤ教だというのも随分なブラックジョークだ。個人的には、最後の選択の演出がもうちょい細かくてもよかったかも。小説版も面白いよ(結構忠実