ディスタービア / 104分


ディスタービア

モニタから「この芸人糞だ」「この歌手もう終わったよな」といって批判・批評する時、言っている自分の安全圏は批判されない。ネット以降「あちら」と「こちら」のラインはかなり明確に見えるようになったが、その多くがポップコーンを片手に人の人生を覗き見るだけだ、この映画の主人公も同じように人の人生を覗き見るだけの(乗り越えるべき父親の死によって)成長が保留された青年。ギリギリまで人任せでモニタの向こう側に行けない彼も、近親の危機にようやく人生を主体的に引き受け、モニタの側からモニタの向こう側の人間に、YouTubeを見て悪態をつくだけの人間から、YouTubeで動画を配信し、他人に批判される側にラインを飛び越え変わっていく。
乗り越えるべき父を失った主人公にとっては、とある人物と対峙し雌雄を決することで、親に守られた青年時代に別れを告げ、父の代わりに母を守る側として自分の人生を引き受ける決心をするのだ。
誰もが主体的に自分の人生を選択し、その責任を自らに強いる存在でありそれを引き受ける覚悟を持ち得るというテーマを、大人への成長という視点を用い、YouTube以降のリアリティで描いた作品。
ラインはGPS、主体と客体はYouTubeや携帯カメラ、悪態をつくだけで何も出来なかった近所のガキの生活へ能動的にコミットし仕返しするシーンなど、かなり明確で雄弁に語りすぎる所はあるし、ヒロインが置いてけぼりになりすぎなので、友人とヒロインは一人で出来たんじゃね?とか、気になるところは沢山あるけど、ポップコーンムービーとしてそこそこの出来。白眉はおじさんの隣の殺人鬼顔。