大日本人 / 113分


大日本人

大日本人自体の感想とちょっとずれるんですけど、多分俺と似た辺りの年齢の人は、信者とかそういう以前に、ダウンタウンのヤバさって、かなり身にしみてると思うんですね。で、松本って結構マジじゃないすか、天然というか。それがナイーブ故のボケだという前提で、基本的には、松本のボケって突っ込み辛い筈なんですよ。いくつかの理由で。浜田ってその松本のなんかめんどくさいナイーブさを"台無し"にするのがめちゃくちゃ上手い。っていう評価なんです、俺は。で、大日本人前半部の松本のボケは突っ込み辛い度数で言えば相当純度の高い突っ込めなさ。言い換えればピュア。見ている誰も突っ込めない、それ故、どうにもできない、んで笑えないと思うんです。そらそうだと思いますよ。なぜなら浜田は異常だから。んで、それにもう慣れてる。だから、松本はよく笑うし、浜田は芸人のボケには殆ど笑わない。あれだけ、どっからどうみても厄介な自意識持ってる人には、めんどくさくて触れませんよ。んで、映画を見ている側も、そう。だってあの松本人志が俺を笑わせるか、俺が見終わった後に、苦笑いするかの二択しかないんだもん。
でも、もし、ここに浜田がいたら…これが、俺の基本的な感想なんですね。
んで、例えば 『知らんがな』『どーいうことやねん』的な世界観だけで、取りあえず擬似浜田を構築しながら映画を見てみると、こういった突っ込みって、見に行った客からしたら、自分の頭で考えちゃうと、大日本人ていう映画に対するネガティブなイメージに繋がっちゃうんですよね。なんつーか映画に対する愚痴に思えちゃうんですよ。大日本人って最小単位の引き算で成立させてる映画だと思うんですけど。映画の殆どが、 『知らんがな』『どーいうことやねん』なわけで、それで片付けてしまうと『で、なんなん?』と、最後のイメージが残ってそれを逆再生して、感想を構築していく為、あーいった駄作感想が出来上がるんじゃないのかな。口コミレヴェルで、全く語れないし。
で、希望としては、繊細に作り上げた砂のお城を、公園ごと超巨大ローラーでまったく悪びれずに、爆笑しながらゴミ屑みたいに、ひき潰して欲しかった。それがあるだけで、映画としてどうか、とか語られずに、コントとして最高に面白いという感想になっていたんじゃないかと思います。
もしこの希望が実際にそうなんだとしたら、最後のコントを成立させる為の世界観のフリに一時間強使ったんだと思う。(前半部の世界観の構築は松本人志の世界としては完璧に近いくらい、成功していると思います)自分が丁寧に作り上げたものというのもあるが、この映画では映画を壊しきれていない。折角時間かけて作った(共有した)、映画内のセオリーを壊しきれていない。この映画には浜田の残酷さが足りない。人の気持ちをあえて全く考えない残酷さと。何にも出来ず、何にもいえない松本の顔を見せたかったんじゃないだろうか。(実際、最後のコントで松本はそういう演技をしている)『関係あれへん』で、人を殴れない。当たり前の感覚があるせいで、大日本人は小市民だった。