手紙 / 121分


手紙

人気ミステリー作家・東野圭吾の同名小説を映画化した社会派ドラマ。ワイドショウへのアングルとして見るなら、加害者家族の問題と言う視点は、時代に即したテーマに思える。
東野圭吾の小説の発売が2003年で、この小説はどのような時代背景なのか?と、疑問があったのだが、この映画版では、手紙を書くワープロがパソコンに、山田孝之演じる武島直貴が目指す職業がバンドから芸人へと変わる。このような変化は時代が変わったと言うよりも、TVドラマを長年撮り続けて来た生野慈朗監督の嗅覚による好アシストだと思われる。社会派モノをやる上で、時代背景が曖昧など言い逃れが出来ない失態と思われるからだ。だが悪い意味でも、この監督の想像力はどうしてもTVドラマ止まり。TBS辺りでドラマスペシャルとか言って2時間ちょいのドラマとしてなら、そこそこ見応えのあるドラマと割り切って見る事も出来るが、映画だと思うとどうしてもこじんまりしていると感じてしまう(ドラマでは無い根拠がこの『加害者家族』というテーマにあるのなら、そんな事も描けないTVにはガッカリします)。この監督が、TVサイズの描き方に慣れているせいもあるだろうが、ドラマなら許せるが、映画では描ききれていないように見えてしまう点は、バックボーンが見えないせいだろう。例えば、主人公の兄が『弟の為に働き、腰を悪くし、やむなく泥棒に入ったが家人に見つかり、間違えて殺した』というような、市井の人と言うよりも、善良な市民が誤って犯罪を犯した兄として描いた意図が今ひとつ感じられなかったり。お笑いとして成功し始める根拠(芸の才能)や、お金持ちの女性との恋(恋愛スキル)、沢尻エリカが演じる白石由美子が何故関西人なのか(パッチギ!の時は関西弁が嫌味じゃなかったけど、この映画では違和感ばかりが残る)。などなど、それがそこにある意図、即ちバックボーンが描ければもっと血の通ったドラマとして見る事も出来た筈なのに残念だ。まぁ、何でもかんでも説明すればいいものではないのだが、映画ならもう少し描くべきでは。そして、逆に説明過多に思えるのが、K's電気の会長との会話のシーンだ。ここには作者のこめたメッセージがある筈なのに「これこれこうだから、あなたはこうだ」と、説明してしまっている。メッセージを説明されるほど、鬱陶しい事はない。メッセージと言うのは、説明されるのではなく、観客が作品から読み取るものだ。今年で57歳になる監督さん「これだから団塊世代は」と言われてしまいますよ。
そして、それが成功しているシーンが、玉山鉄二演じる武島剛志のラストシーン。このシーンは、文句無しに感動させて頂きました。舞台上を見る事が出来ずに、手を合わせ何かを呟きながら号泣する兄を玉山鉄二が好演していました。このシーンのおかげで様々な事が収束され、映画として見る事が出来ました。