疾走 / 125分


疾走
20歳位の頃好きだったSABU監督による、おそらく初めてオリジナルではない、重松清の小説「疾走」の映画化。SABU監督といえばひたすら走るシーンで、椅子に座って映画を見ている僕らを挑発するような監督で、タイトルも疾走なので原作ファンもSABUファンも幾分か期待している部分があったとおもうんだけど、この話における走りは古谷実の漫画「ヒミズ」におけるマラソンと同じモノなので、爽快感やドキドキは無い。その走る背景も田舎特有の閉鎖的淀みが見えて、過去のSABUとはトーンがまるで違う。


主演の手越くんはジャニーズの中でも好きよりなんだけど、この映画の手越君は微妙。棒読みだとか、抑揚の無い演技は、多分彼だけのせいじゃなくて、サブカル映画特有の、勘違いしたリアリティのせいでもあると思うけど(ヒロインはもうちょいまし)、手越君の綺麗な顔とふにゃふにゃした体が、作品前半の閉鎖的かつ全時代的な田舎の映像と合ってないので、ずっと頭にクエスチョンマークが出る(そもそも原作が現代劇としてこれを書いてるのが間違ってると思うし、映画にする時は現代劇として割り切って改変した方がよかったんじゃないかな←あーいう演出するなら)。そのせいで、いつの時代の話なのかいまひとつ分からない。シーンごとに時代が違うように見える。特に後半東京に行き、現代のゆらゆら漂う若者のリアル風の演出になった時は、かなりびっくりした。前半で全然使わなかった携帯が急に出てきて、えっ!?ていう。ヤクザにつかまるところで10年くらい経ってるの?


キリスト教も出てきて、誰の目にも明らかなように、話の骨格は神話モノなんだから、寓話的演出でもいい気がするけど、それでは現代のリアルな孤独を云々とか言う原作ファンにボロカスに言われるんだろうな。それとも、いつの時代だか分からない映像が寓話的ってことなの?もしそーなら俺には分かりませんでした。すいません。


暗い話を読んで、残酷な境遇の若者達から目を背けるわけにはいかないっ!私は社会の歪みに真剣に向き合ってます!!っていうポーズが取りたいのなら御誂え向きですよ。あーほんといい人たちだ、早く傍にいって抱きしめてやってくれ。


主演二人以外の役者は総じて上手かったと思います。特に中谷美紀演じるヤクザの愛人がいい。