きみの友だち / 125分


きみの友だち

鬼門、重松清原作。もともとオムニバス形式の小説を一本に纏め上げているため、単純にまとまりが無く、散漫な印象で分かりづらい。石橋杏奈を含めた数人の俳優が、学生時代から大人にかけて、一人で演じているのだけれど、その時間の経過を演技で表現できているかと言うと、全然出来ていない。また、時間軸がせわしなく動くため、今がいつで何をしていて、何を考えているかを把握するのが、ただただめんどくさい。しかも学生時代の話に吉高由里子のような、10代にも30代にも見せれる女優を持ってくることで、そのぐちゃぐちゃした時間はより一層迷宮入りする。個人的にはミスキャスト。例えばこの吉高由里子のように、一目で分かるサインと言ったものに乏しく、意識的に分かりにくくしているように思える。僕自身は、スクリーンの背景を認識する前に、ふわっと先に進まれてしまうので、終始置いてきぼりにされる感覚だった。その為、感情移入などという気持ちには程遠く、スクリーンとの距離が全然縮まらない。そういったある種冷めたアングルが、効果的に物語と絡めばいいのだけれど、ポエティックな方向に進んだりするもんだから、ただお前らのめんどくさい話には付いていけないという風に思ってしまい、一応友情についての泣ける話のはずだと思うんだけど、余りに傍観者でいさせられるこの演出法は果たして成功だといえるのか。一応最後のほうで、時間が断片的であるが故のトリックのようなもので、あーなるほどといったものはあるんだけど、たったこれだけの為に、こんな見づらい映画にしたの?という脱力感ばかりが残る。ロングショットの多様も鬱陶しい。


もしかするとこの映画のアングルって、フリースクールにやってきたジャーナリストの目線で、フリースクールの映像だけが、ドキュメント風カメラワークで進むのはそのため?それで、主人公石橋杏奈の過去を少しづつジャーナリストが分かっていくっていうのを、観客は彼の目線になって見ている風にしたかったのか?ジャーナリストが全然画面に出てこないので、よく分からなかったし、唐突に結婚してたので、かなりびっくりしたんだけど。スクリーンを追うことが、石橋杏奈の気持ちを追うことと直結してて、ジャーナリストの気持ちと自然と同調するってのか目的か。そういった意図があるのなら、ジャーナリストの目線であることを構造的に見せる為に、単純にビデオカメラを持たせたりして、どういった考えで、何故このフリースクールを選んだかといった、ジャーナリスト自身の言葉で語らせた方がいーんじゃないかなぁ。それと分かりにくくなっている原因は、幼少時代の役者と映像にもあると思うので、全く別の映画のように見せるか、順番的にかなり最後のほうに持ってきて、足の原因が自分にあることを責めていたのかというのは、女優の個人認識が済んだ後だった方がよかったんじゃないかな。
まーそもそもオムニバスで、それやるのは間違ってるけどな。明らかに話し聞いてる石橋杏奈がいない場所の、主人公が入れ替わっちゃう部分が浮いちゃってるし(でもそこが一番見てて分かりやすくて面白い)。うん、演出意図は分かったけど、なんで一生忘れない友だちってテーマで一歩引いた第三者の異性の目線で描こうと思ったんだろう?それ効果的かなぁ。


この監督自体は、決して嫌いになれないタイプのアイドルドラマを長年とり続けている人で、結局僕も石橋杏奈ちゃんがかわいかったので、全然OKだったりする。