MYSTIC RIVER/138分


MYSTIC RIVER

デニス・ルヘインの小説を、クリント・イーストウッドが映画化した重厚なドラマ。アカデミー賞ではショーン・ペンが主演男優賞を、ティム・ロビンス助演男優賞を揃って獲得した事からも分かるように。この物語の魅力は、登場人物の深い人物造形と心理描写にあるだろう。劇中で描かれない、25年間を彼等は演技で見せなくてはならいわけで。それが138分という長さに、よく表れている。36歳には、とてもじゃないが見えませんが。

男達は25年前の記憶を引きずりながら、お互いを『友達じゃない』と語る。もし、あの日別の誰かが連れ去られていたら、現実は全く違う運命だったかもしれない。それは、三人とも分かっている。だからこそ、個人の立ち位置を強固なモノとし、生きる為に必死にもがく。それでも、過去の記憶は拭い去る事が出来ず、各々が苦悩と戦う。切欠の事件が、連鎖する川の流れのように流れ、「罪を犯した者は、それを償わなければならない」という暗黙のルールを、あえてこの映画では覆す。我々は、数々のハリウッド映画で汚染された脳で、罪を被るデイヴの悲劇に、後味の悪さを感じる筈だ。しかし、アメリカ映画の描く暗黙の領域が、現実で守られる事なんて無い。そういった所で、過ちは繰り返されるのだ。
そして、味わい深いラスト。役者が視線だけで様々な言葉を語り、この街のミスティック・リバーのように様々な記憶や、思い出や、罪や、死んでいったモノを流してしまうようにパレードのシーンは、あらゆる感情やこの映画でおこった数々の悲劇を流していく。川とパレードという、流れるものと流されるものの二つの対比で、愛するものを失い、感情で暴走し、それを誰も止められず、肯定さえしてしまう。歴史から何も学べず、過ちを繰り返してしまうアメリカの現状を物語っているのだろうか。しかもそのパレードは、子供達、すなわち未来を表している。そのパレードの外から、その中に自分の子供を捜し必死に手を振る母親は、ある意味ショーン・ペン演ずるジミーと同じなのだ。その流れに抗い、時間の流れを止める事はとても難しい。だがそれでも、ケヴィン・ベーコン演ずるショーンは、川の流れに逆らう事をジミーに誓う。

ケビンベーコンの奥さんが、抱き抱えている赤さんは人形か?本物か?