ヒューマンネイチュア/フランス/94分


HUMAN NATURE

現代寓話の最も切れた映画脚本家、チャーリー・カウフマンによる『マルコヴィッチの穴』に続く新作。『マルコヴィッチの穴』での監督スパイク・ジョーンズは製作に回り、MTV出身の、新進気鋭監督ミシェル・ゴンドリーが旗を振るう。奇抜なアイデアが立っていた『マルコヴィッチの穴』に比べ、ベタなメタコメディ映画として楽しむ事も出来る。それも、自分を猿だと思い込んでいる男(パフ)を演じる、リス・エバンスの力による所が大きい。イギリス英語はどちらかというとアメリカ英語よりも、文法に忠実で伝統と気品が漂うものだが、リス・エバンスにはもってこいの役ではないだろうか。ライラ役のパトリシア・アークエットもネイサン役ティム・ロビンスも素晴らしいし、基本的に役者は、充実した演技を発揮している。それが、どの人物にも感情輸入させない、個性のキツイ、ブラックコメディとしての魅力を際立たせ。前半のストーリーが、殆どセリフ劇として進行するのは、ベタなコメディーでありながら、ベタへのパロディが皮肉にもとれる所以で。人によっては、とてもラディカルに写るだろう。そのラディカルな側面を色濃く反映する後半では、雰囲気がガラリと変わる。それは深読みをすればこういう事ではないだろうか。現代寓話としてのビルドゥングスロマン(男の子の成長物語)を成立させる為に、通過儀礼を自信が捏造してしまう事。思春期以前の他者家族と、思春期以後の他者社会、その器への転換の為に男の子は父親を殺し、恋人に母親の面影を見つける。一種の男の子問題を、多角的に切り取った作品だと。そういったアングルで見たところ。最終的に、『リベラリストにしてフェミニスト』という自分を騙す為の捏造を通過儀礼を通して、被害者に見せ(実際マイノリティである)、『ファンダメンタリストにしてマキャベリスト』を凌駕する、精神的強さを見せる。という、安直で表層的弱者に優しい、ぬるい映画かと思わせておいた上での、ラストのちゃぶ台返しには、大拍手を送ります。個々人を個性的に写している意味もこれで、浮き彫りにされる。つまり何かに帰属する、欺瞞に自分自身が酔ってしまうことは、とても気持ちが悪く。一見、自然主義に見えることで隠されがちだが、全く持って不自然なのである。捕まった当初から、ガブリエルとやりたいという欲求を満たす為には、相手の気持ちを考えて、妥協し、時には道化を演じるのですよ。それを切れたり、ルサンチマンに凝り固まった所で、欲求は満たされない。ごくごく当たり前な、コミュニケーションを出来ない現代社会でも、現存する手札だけで、コミュニケーション能力は構築できるのだ。それなのに、人間的生活を送る人間にはこれが出来ないため、死んでしまったり、刑務所に囚われてしまう。物凄くまっとうな事を言っているのに、これが届かないのなら(ラストが不満なら)、人間として不自由な欺瞞をまとって、あなたは生きているのでしょう。とまで分かれば、誰が撃ったかは言わずもがなでしょう。自分の足元が不安なら、よーく見ておいた方がいい。