火車 / 宮部みゆき


火車

消費者金融/カード破産といった社会問題をテーマにしたミステリー。それを社会問題といった目線で描くだけでなく、犯人が朗々と社会問題という名の自分語りをしたりせずに、背景にある人間像を一人の女性に関わった様々な人間の人生から見通す構成が見事。その一人ひとりのステロタイプさも気になると言えばなるが、2009年に読んでればそれも当たり前で、この小説の何が凄いかって、この小説が1992年に出ていると言うこと。まだサリン事件も阪神・淡路大震災も起きていない。携帯電話も、完全自殺マニュアルも、セヴン(映画)も、ライヴドアもまだだ。徐々にトレンディ/ホイチョイ的なムードは下火になってきているとは言え、巨大な絶望や厭世観の共有はなされていないと思う。それでもこの小説では、経済成長の終焉や、翻弄される心のありように既に明確な答えを出していて、まだ広く流通していない、自己責任論や引きこもり的退行も描かれている。その厳しくも優しい人間観は、17年経っても全く色あせていない。いやある意味、この小説が80sにしがみ付いている人間を諦めさせる最後の一手だったのかもしれない。人間洞察も度が過ぎると嫌味なものだが、様々な人間の人生に裏打ちされた身も蓋も無い言葉がするすると入ってくる。もしかすると、当時はかなりショッキングな人間観かもしれない。それでも自分の中にこの言葉の一つ一つが染み入ってくるのは、人間らしい厭らしさも醜さも薄っぺらさも、愛おしい世界の豊潤さだと思えるからだろう。本当はそういったエピソードの一つ一つを取り上げて、宮部みゆきの豊かな視線を伝えたいところだけれど、出来る事なら自分の目で見て膝をポンと叩いて欲しい。
少しだけ不満を言えば、事件を持ってきた和也が後半にもう一度出てきて欲しかったという、ファン丸出しの不満。でもまぁカラッとした痛快さでテンポ良く物語が進むようなものでも、思いもよらない展開や驚愕のトリックといったものでもないので、痺れるミステリーを読みたくて手にとるような小説ではないかもしれませんね。しかし90年代の厭世観が沁みる時代の病のような(カンショウ的な)大作と読んでもいいと思います。