無限のリヴァイアス/全26話


無限のリヴァイアス
数々のスーパーロボットアニメの演出を手掛けてきた谷口悟朗による、初のテレビアニメ監督作品。その作品性は、その後の『スクライド』『コードギアス』にも脈々と受け継がれている。
前知識として、1999年当時エヴァンゲリオンの客層を当て込んだ、ポストエヴァ作品(後にセカイ系と言われる)というのが無数に存在したのだが、そこにリヴァイアスも入っていたと思われる。その内容は『今、そこにいる僕』と並び鬱アニメと評され、容赦の無い残酷な描写がクローズアップされ語られることが顕著だ。そこに段三者の目を要する群像劇を採用した所に作品の魅力が集中し、後に監督の作家性にまで消化される。
何のとりえも無い主人公があらゆる人間に殴られ、かといって大げさなトラウマを持つ事も無い事で、アニメという媒体において逆説的に特権性を用意されるのだが。このような批評性は「宇宙での戦闘ほど無意味なものはない」と言う台詞や、二本足の巨大ロボットを見て大笑いしたりするシーン。又、序盤に現れるヒロインが、そのお嬢様風の外見で視聴者の視線を集めておいて、徐々に裏切っていく演出にも現れていて。ポストエヴァというよりも、ポストロボットアニメとも言われた。自身の内面か、客しか見えていないセカイ系作品の中で、唯一ポストエヴァというムーブメントを捉えた作品だといえる。
視聴中は一応、主人公に感情移入するのだが、群像劇であるが故、視聴者の関心が、今後どういう行動をとるのかに集中し。結果的に、ココロより行動、トラウマより決心、過去よりも現在を重要視することで、逆説的にこの舞台の骨組みになるリアリティある人間性を浮き立たせ、内面にスポットを当てがちなセカイ系作品の中でも異質な存在感を感じさせていた。その性質は、同時多発テロを経て、自己責任を強いるアメリカ的近代。即ちグローバリズムを経た現在から見ると、すでにポストモダンを射程圏内に収めていたといえる。
所々、良く分からない超パワー等、気にはなるが。ココロを描かずに、関係性を描ききったのは、エヴァンゲリオンブームという背景の中、充分評価に値するのではないだろうか。制作側の『エヴァエヴァ言ってんじゃねぇ!』って気概が見えます。同様の群集劇『lost』より、よっぽどよく描かれてるのでは。
その中で、恋愛部分は心理を描かない為、唐突に見える。きっと状況が状況だけに、吊橋理論を方法論にしているのだろう。だが最後に地上に着いてる訳だから、最終話は日和っているんじゃないだろうか。この世界にゲレンデ理論は無いらしい。
また群集劇の肝でもある性と食が、ゆるゆるなのはどうだろうか。(食いもんは機内にたっぷりとあり、だらだら生きれるだけのリソースがある)
個人的に評価は高いのだが、最終話だけは腑に落ちなかった。色々あったけど、結局言いたいのはそれかよって思ってしまう。大雑把に言うと「地球が危ないんじゃなくて人間が危ない」「地球の未来には、個々人の意識が大切」「俺とお前の未来は違うけど、地球は一つ」「せめて自分の事は自分でする。そのかわり自己責任」というノリなのだが。折角、成長とか描いてるのに、未知の力(本人も良く知らないし、勝ち取ってはいない)を持ってるのは俺らだけで、おっさん等には無理なんだよ、バーカみたいに見えてしまい。子供=視聴者は、凄いって話になってしまっている。それでは他のポストエヴァ作品と、着地点がなんら変わりない。そうみえてしまうのは、敵や地上の描き方が雑で、結局地上側が何してるか、ほぼ描かれていないからでは無いだろうか。この地上=大人は悪い。なんでかっつーと、俺らの知らない所で汚職とか悪い事してるから。レヴェルの子供の戯言で、いずれ自分もなる大人と差別化して、まるで別の種族のように描いてしまった事は、最終回のぐだぐだ加減の要因になっていると思う。それをも逆手にとって、お前等は知らないだけで、地上のおっさんはおっさんで死に掛けてたり、各々の家族の内面をエヴァ風に描き、実際に事が起きている現場の心の描かなさと対立させ、自分の身に降りかかっていない地上側の心が壊れてしまうといった、宇宙と相対化させるなどのやり方もあったのではないだろうか。結局地上パートは、設定の為の設定のような、ただの背景になってしまっていた。そういう意味で、ルクスンは非常に辛い役回りだった(宇宙内で地上の価値観を引きずる役回り)。実は結構人気があるかもしれない。
色々文句も書いたが、概ね好印象で、当時より今の方が受けるんじゃないだろうか。
そういえば、アニメじゃなくて舞台を見ている気分だった。役者が役を演じている感じ。
それと蛇足だが、無闇矢鱈なHIPHOP要素はどうしたかったのだろう。あれでも若者ぶっていたつもりだろうか。ウォルアート(タギング、グラフィティ)やブレイクビーツ(ラップ、DJ)等、どうせやるなら、ビートマニアレヴェルじゃなくしっかりやって欲しい。